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言葉の集め方

言葉の集め方がたくさんあるけど、だいたい楽しい方法で、脳に入りやすい。本を読み、映画の字幕を読み、曲の歌詞を読み、面白い何かについて調べた。なるべく脳のリラックスをすると、入りやすい。 強引に入れる言葉が忘れやすい。特にストレスが溜まってる時、全然出来なさそうだ。辞書の中に言葉がたくさんあるはずだ。でも、全て脳に入れられるわけがないだろう。毎日言葉を五個すつとか暗記する人もいる。勉強する時、やる気があれば、言葉が覚えやすい。しかし、やる気がなければ、たとえ強引に暗記しても、できないものだ。それで、やる気と好意次第ものだ。 記憶にある言葉が消えることもある。たまに使う言葉が消えやすい。それで、予習する必要がある。日常に応用するべきだ。日記を書くのが恥ずかしいなら、その代わりにブログで面白い何かを書くことにすると、余裕がありそうだ。私にとって、面白いぐらいストーリーがあった言葉は、記憶から消えないものである。そのストーリーを思い出すと、その言葉も覚える。 覚えた言葉と新しい言葉を間違えることもある。特に同じ読み方で、漢字が異なる言葉である。私は英語によって日本語を勉強することもある。二つの言葉が英語の意味を比べたら、同じだが、全く違う。例えば、「機能」と「関数」の意味は「Function」となります。しかし、英語では「Function」の意味は二つある。一つ目、用いる可能性ということである。二つ目、数学の何かを果たすということである。つまり、記憶に言葉を片付ける必要がある。

お姫様が龍だった夢

夢を見るほどぐっすり寝た。その夢は、真っ青な空を見上げていると、突然雲の隙間から龍が現れるものだった。龍が地面に近づく瞬間、強い風が吹いた。地面に着くと、龍がお姫様になった。誰かが「直接にお姫様の目を見ないで」と注意された。でも、皆がお姫様の美しさに憧れ過ぎたから、その注意を忘れたように見られた。それで、火の息で攻められた。ひどかったね。 すると、お姫様が私に近づいてきた。緊張して、どうしようと思った。あら!ポケットの中を触ると、カメラがあった。 それによって見つめるのに、使った。お姫様が髪が長くて、伝統的な服を着ていた。 近ければ近いほど、美しかっただけあって、皆に憧れられていた美しさだったか、信じられなかった。 その見たことがないような美しさのせいで、皆亡くなったほどひどかった。夢から醒めた。

トッダンボジョへ釣りに行き

南スラウェシにトッダンボジョという村がある。私の故郷から約20キロメートル距離だ。車で行ける。中学生の頃、おばさんが時々私を釣りに誘った。私だけが子供だった。何時間も釣りをやってから、帰った。あそこは熱帯魚がたくさんいると言われている。 釣りの道具が単純だった。釣竿は竹で作られた。その竹は細くて、黄色くて、折れにくい特別な竹の種類だった。釣針は魚の大きさによって色んなサイズがあった。釣り餌はミミズとかアリの卵とかカエルとかだった。釣糸はナイロンだった。釣りに行く時、釣竿を何本も持って行った。 川の横に座って、釣りをした。どうやって魚が餌を食べているの?水で浮かべる物を釣糸に縛って、動いていたら、魚が食べている合図から分かったよ。動き出したら、魚が食べ始まる合図だ。深く引かれていたら、魚が食べた合図だ。適当なタイミングの引きをよく決める必要がある。早過ぎたら、魚が逃げられる。川の水が濁っているから、川の深さを知るわけがない。草とか川の底とかゴミとかに引っかかることもある。 田んぼに囲まれていた。待っているうちに、そよ風が吹いて、色んな野生の鳥の鳴き声が聞こえた。本当にこの辺りに自然な環境だった。11年間ぐらい去っているあそこは今まだこんな状況かなぁ。 夕方になったら、家へ帰った。釣りの魚を洗って、包丁で切って、調味料を加えて、焼いた。肉が柔らかくて、おいしかった。新鮮な魚を食べるのは、最高のうまさだった。

タランチュラの存在

タランチュラというクモの種類を見たことがあるの?私の住んでいた東ボルネオの森の中にいるよ。黒くて、全体が柔らかい毛が巻かれている。牙が二本あるから、噛まれる。危なさそうな動物だから、捕まえないで。毒があるかどうか、分からない。大きさは二本の指みたいだ。 巣は網じゃなくて、土の穴の中に住んでいる。食物は分からない。多分何が周りにいるかを食べられるかもしれない。穴の中に餌食を待っていて、近づいたら、すぐ食らう。時々巣を出て、歩く。 大学生の頃、父と弟と森の中にある畑へ行った。森の中に畑もあるなんて、変じゃないのだろうか。遠いし、危ないし。野生動物が出てくれば、どうしよう?その時、川の横を歩いて、急に穴からタランチュラが出てきた。驚いていなかったが、初めて自然に見たから、気になった。何匹も土の上を歩いていた。

象とばい菌のことわざ

インドネシアにはたくさんことわざがある。動物のことのをことわざがとしてよく言われている。例えば、「瞼にいる象は見ない。島の向こうにいるばい菌は見る」ということわざがある。「小さくても、他人の欠点は気にする。大きくても、自分の欠点は気にしない」という意味だ。悪いイメージを持っていることわざだね。 象は大きい動物、目の前にいると、見えるだろう。ばい菌は動物だと言うと、ちょっと変だね。ばい菌はとても小さな生き物、拡大鏡で見てみても、見えるわけがない。顕微鏡を使えば、ばい菌が見えるだろう。ただし、そんな微視的な生き物が島の向こうにいるなんて、見えるわけがない。このことわざに対して、アリがばい菌の代わりに使われている人もいる。でも、このことわざの意味に対して、ばい菌の方が強く表されているね。象は大きい欠点を、ばい菌は小さい欠点を表す。瞼にいることは自分の立場を、島の向こうにいることは他人の立場を表す。このことわざに当たっている人の性格は何というのだろうか。本当に使われている言葉が妙だ。